(5年前当時のブログで書いた記事の内容を加筆修正したものです
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2012年日本経済学会秋季大会(於・九州産業大学)にて石川賞受賞者、東京大学教授玄田有史先生の記念講演が行われた。

玄田先生は冒頭で2つの複雑な心境を述べる。
1)石川賞の設立趣旨に「実証面や政策面を中心に優れた経済学研究を行った日本経済学会会員(個人)を対象とする」とあるが,石川先生自身は政策との関わりに否定的であり,「経済学者は霞ヶ関には近づくな」とさえ仰っていた,そのような賞を受賞するのは実に複雑な心境である,と。
2)とはいえ玄田先生ご自身が,政策をめぐって積極的に発言されていることが,なおのこと複雑な心境である,と。

そして,玄田さんは「霞ヶ関」では経済学者が具体的な政策の案を提起することが求められていないということを指摘する。政策提言は経済学者に求められてはいない,と。

では何が求められるのか?。以下にメモから引用する。

「何が結果的に政策に繋がるような研究であるのか?それは、発見であります。政策として考慮すべき課題の発見であります。熟慮された経済理論に支えられてできる限り精緻なデータと厳密な手法による実証研究を通じて発見された解決すべき課題,この課題の発見こそが真に政策に求められているものであるというふうに私は思います。

NEETもそこに政策提案があったから政策に繋がった訳ではないと思っています。むしろ,深刻な問題であるにも関わらず,完全に無視された存在にスポットが当てられたからこそ,政策として取り上げざるを得なくなったというのが実像であろうというように私は思っています。

経済学者の使命とはまだ気づかれていない存在やシステムを発見することにあるという風に私は考えます。そのためにそれぞれの経済学者がそれぞれの持ち分を発揮して発見に努めることが社会的な役割を果たすことではないでしょうか。今から33年前に石川先生が書き残された次の言葉をご紹介しておきたいと思います。

制度化された経済学の最大の弊害は,方法論的無反省となる以前に,経済学者がどのような社会的役割を果たすかについての主体的意識が希薄化してしまう,そのことにあるのではないだろうか

課題の発見を通じて、経済史にも様々な研究課題がつきつけられてくるはず。
例えば、「実はあの当時にも『気づかれていない存在』があったのではないか」といった素朴な問題意識。
現代における課題の発見は、経済史を見つめ直すひとつのヒントになる。

ご参考までに
岩本康志のブログ:玄田有史教授による石川賞講演